讀賣新聞の「プロ軽視の大衆社会」について2013年01月05日 16時49分

今朝の讀賣新聞・1面の「プロ軽視の大衆社会」という記事に目が奪われた。

なぜならシリーズ物として、2011年10月に「素人の時代」を書いたからである。
サブプライム・ローンなどの証券化商品バブルの破裂、デフレ問題、どれをとっても専門家の言うことが当たらないからである。

それに加え、福島第一原発での津波高の想定やその対策、最近では活断層の問題など専門家が役目を果たせないでいる状況があるからである。

新聞では民主党政権下での事業仕分けで、官僚に対する厳しいバッシングにより、官僚を辞めた人が取り上げられている。こうして素人の意見に従っていると正しい行政が行われない恐れもあるという趣旨なのである。

確かにポピュリズム的大衆迎合は良くないし、一般受けしない消費増税も必要ならば断行しなければならない。
けれど、原発がらみの話は、専門家に任せていてはとんでもないことになる証左である。
せっかく15mほどの津波の恐れがあると注意してくれた人がいたにもかかわらず、可能性は少ないと無視し、何ら根拠もなく「安全神話」を作り上げたのは、専門家である。
原発再稼動をさせたいがために活断層でないといい続ける専門家もいる。

専門家と言えども大衆を納得させるだけの理由を明示する義務があるし、逆に一般大衆は感情的にならずに、いいものはいいという判断を周りの目を恐れずに下すべきだと思う。

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